私の東京ストーリー

日暮里

日暮里(にっぽり)。読めましたか?

初めてこの地に行ったある人は「ひぐれさと」と読みました。

なるほど。そう読めなくはないですね。

どの地方でもそうですが地名というのはけっこう難しい読み方が多い。

東京都荒川区日暮里。JR山手線の駅もあります。日暮里の上の方は谷中になり有名な谷中の墓地などもあります。

何もない街であまり変化も少ないところだな思っていましたが最近ではテレビや雑誌などで繊維街が注目されてきたようです。先日も激安のファッションを揃えられるなどと取り上げられていました。

食べ物として有名なのはやはり老舗のおだんご屋「羽二重団子」でしょう。ここは今でもいろいろな層の人に人気があります。

しかし私の印象としていまいち街として魅力が足りないと感じてしまいます。せっかく山手線の駅がありしかも並ぶ京浜東北線、常磐線、京成電鉄本線の停車駅であるのになんで発展しないのだろうという思いがあります。住んではいませんが子供の頃から知っているこの街の風景はほとんど変わってない。

まあ、変わらないからこそ良いという人がいるかもしれませんが。

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柳橋

柳橋。かつては新橋、神楽坂、赤坂に並ぶ東京の花街のひとつだった。

昔、小錦(元、大相撲大関・現タレント)がかっぽしていた(高砂部屋があった)。芸者さんがGパン姿で歩いていた。

柳橋の橋の下に流れる神田川に浮かぶ釣り船。

芸者置屋さんの看板。料亭。

ちょっと離れた、かつての蔵前国技館、馬喰町の問屋街、浅草橋の玩具やいろいろな現金問屋さん。

独特な、そして風情のある街だった。

今は、どうなのだろう。

蔵前国技館はとっくの昔に取り壊され両国に移った。

料亭もなくなり、芸者さんも置屋もなくなった。

馬喰町の問屋街や浅草橋の問屋街は現在でもあるがいろんな意味で役割は小さくなってしまったのだろうと思う。

変わってしまった。

それは時代の流れで仕方のなかったことなのであろうと思う。

でも、僕はかつての時代に実際に生きていた。

そんなかつて柳橋を知っていた。

そしてそんな僕が思う。

こんなことを言ってはいけないのだろうが終わってしまった街。

東京の街の中でもう、役割を終えた街。

これからは単なる乱雑な街。中途半端な街。

そんなふうに僕の中では感じてしまう。

現在の柳橋を歩くとなんだか哀しい。

街にも時代、時代の役割があるのだろう。

これからの柳橋はどう変わるのか。

どうなっていくのか。

単なる東京ローカルのなんにも特徴のない街になってしまうのか。

僕の思い以上に変わっていき発展する街になってほしいと思う。

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有楽町

社会人スタートの地

僕が学校を卒業して正式に配属されたオフィスが有楽町だった。ちょっと前に新聞、テレビで話題になった某グループ企業の一員だった。

今でも覚えているが紺のスーツ、エンジ色のネクタイという姿だった。その前に研修ということでいくつかの営業所で仕事を教えてもらったのだが正式に配属されたのが有楽町営業所だった。

有楽町という街はある意味不思議な街だった。銀座と隣り合わせだが銀座ではない。けれど有楽町イコール銀座という感覚も少しはある。

まあ、とにかくこの街が僕は今でも好きだ。渋谷よりも、新宿よりも。

有楽町営業所に配属されてすぐ、上司に銀座のクラブに(若いコの踊るクラブじゃないですよ。お酒を飲む方です)に連れて行ってもらった。いわゆる高級クラブだった。

その時のことは今でも覚えている。エレベーターに乗ったら音楽が聞こえてきた。音楽が流れてくるエレベーターなんか初めてだった。まだ、少し早い時間だったのでこちらは3人だったのに6,7名のきれいな女性(そう見えた)に囲まれた。今まで接したことのない華やかな女性たちに僕は興奮していた。今まで縁のなかった銀座のクラブ、ドレスと甘い香水に包まれた女性。

これが社会人なのだなあ。と、その時思った。

学生では決して味あえないその世界。大人の会話(できていなかったが)。

まあ、とにかくそうして僕の社会人生活が始まった有楽町という街。

懐かしくも忘れられない街になった。

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